<インフォメーション>
クラブからのお知らせ・情報を掲載していきます

トップページへ戻る
2003年9月24日掲載
浦和パルスFC・菅野一郎先輩より「私のトレーニング法」を寄稿いただきました。当初寄稿文のページに掲載させていただこうかと思いましたが、我々四十雀東京のメンバーが、日頃のトレーニングの参考にすべきとても貴重な「情報」であると考え、「インフォーメーション」欄に掲載させていただくこととしました。自らの努力の不足を感じさせられるとともに、大きな刺激を受けることと思います
。是非お読みください。

「私のトレーニング法」
 菅野一郎(浦和パルスFC)1931年2月28日生

1 動機と目的

 中高年サッカーに参加している者の中には、サッカーという競技をする上で必要な準備〔技術的な練習ではなく〕を省略したままプレーしている者を見かけるが、中高年のサッカーとはいっても、サッカーはやはりサッカーであり、それなりの準備が必要である。

 私は60代までは、週1回程度のジョギング(10km程度)をすることによって、足首、膝、腰の関節や下半身部分の筋力を調整し、試合に耐えられる体調の準備をしていた。

 しかしながら、古希を迎えても、同年代の者と試合をする機会は皆無に近く、10歳近くも年齢が離れた者と試合をするためには、その者たちと同程度の体力が必要となってきた。そのため、高齢者にふさわしいトレーニングを開発しなければならず、さらには、年齢からして落ちていく体力の加速を遅らせ、場合によっては体力を向上させることも、あながち不可能ではないといった発想から、新たなトレーニング法を開発した次第である。ただし、運動生理学などについての学習経験はなく、あくまでも過去の体験的に得た知識などからの創意工夫による産物であることを付記しておきたい。

2 トレーニング法の実際(3部門)

1)筋力トレーニング

 街のジムなどで各種マシーンを使ってのトレーニングには、それなりの効果が期待できるが、私は屋内での身体運動は清浄な空気が得がたい欠点があるように思われ、屋外でのそれを求めて、近隣小学校の校庭に設置されている運動器具、遊具などを使用しての方法を工夫してみた。

 それらは、高鉄棒、低鉄棒、うんてい、ジャングルジム、その他であり、それらによって、身体各部の筋肉を「伸ばす」、「縮める」、「捻る」、「回す」といった運動を行うことにした。問題はその回数、程度であるが、1日に1回、各部の運動を30秒〜40秒とした。

2)ストレッチ体操

 私どもの世代は、体操というと、ともすれば手足を振り回したり、腰や膝を強く速く曲げたり伸ばしたりしがちで、これは生徒時代に習い覚えた徒手体操の記憶があるからである。しかしながら、運動生理学の進歩発達により、スポーツ選手にとってのストレッチ体操はもはや常識といってよく、身体全体に及ぶ各部をゆっくりと伸ばし、曲げ、捻る動作は、特に高齢者にとっては有効であるように思われる。

 私が実行しているストレッチ体操は、以下の通りである。

・頚部の曲げ伸ばし、回転。  ・腕の前後、左右への上げ下げと回転。 ・腰部の曲げ伸ばし、捻り、反り,回転。 ・膝の屈伸  

足首の曲げ伸ばしと回転。

3)各種ランニング(最長―50m、最短―2,3mのダッシュ)

50mの6コースを使用。

(1)通常の歩行よりもやや遅い程度のスピードでの300m(50 x 6)

(2)通常の歩行よりもやや速い程度のスピードでの300m(50 x 6)

(3)スキップ,ゆるやかなテンポを変えたステップ、後ろ向き歩行,ランニング、横歩きと速いサイドステップ、歩行での急激な方向転換、ハーフスピードでの急激な方向転換、最速でのステップによる前進の繰り返し、1回転を繰り返しての歩行。

*(3)は各種50m。

(4)ハーフスピードによる50m走を6コース。

(5)トップスピードよりもやや落したスピードによる50m走を6コース。

(6)全力疾走による50m走を3コース以上。

*(5)、(6)は1コースごとに呼吸を調整。

4)その他

(1)不規則なステップ(3)の終了後に小憩し、縄跳び5分程度。

(2)サッカーは瞬発力のほかに持久力も必要なので、市営の公園に設置されているウォーキング・ジョギングコースを利用して、両者を組み合わせた長距離走(10,000メートル)を週に2回程度実施。

3 事後の効果  *トレーニング開始以来2年3ヶ月

  60代までの試合後には、試合内容にもよるが,その翌日には筋肉痛や身体全体に及ぶ疲労感に襲われることもあったが、70代に至って開始した新たなトレーニングにより、以下のような効用が現れた。

1)上半身の強化によって、ランニングのスピードが増した。

2)ランニングの主体を長距離から短距離に変換したことにより、ランニングの際に感じていた身体の重さが軽減され,走行が楽になった。

3)週2回程度の長距離走により、試合が終盤になっても疲労感は無い。

4)試合翌日や翌々日に感じていた疲労感はほとんど感じていない。

4 その他

  サッカーに必要な基礎体力の向上を求めてのトレーニングであるが、ボールプラクティスも加えた方が更に有効であろう。

追記

A4用紙2枚に,私のトレーニング法を記述しましたが、写真や図解が無いので、内容理解に苦しむ場合があるかもしれません。経験豊な諸兄のご賢察により、ご理解いただけるものと信じます。以下に追記の必要があるものを列記します。

1)時間配分 ― 筋肉トレーニング……・ 15分程度

         ストレッチ体操……   15分程度

         各種ランニング……   30分程度

*筋肉トレーニングには、仰向けの姿勢から状態を起こす腹筋運動,腕立て伏せを含む。

2)実施時間帯

    小学校児童登校前の施設利用なので,早朝6:30〜7:00としていいるが、本来ならば午後に実施したいのが本音である。

3)自分流?

 人間が保持する身体機能には個人差がありますし、自分が担当するポジションの特性を生かせるトレーニングが必要となります。したがって、タッチライン沿いにドリブル突破するプレーを特徴とするウィングプレイアーとしては、直線的な速いスピードでの「走力」が不可欠であり、必然的に走力維持を主眼としたトレーニングになったわけです。

 上記したこととは別に、サッカーという競技は,キック,レシーブ、ドリブルといったボールコントロール以外に、試合の大半を占める「身体移動」即ち,「走るー急発進と急停止の繰り返し、試合開始から試合終了まで続けなければならないポジションの獲得」のために走り続けなればなりません。女子マラソンの指導者として有名な小出監督は,走ることを「駆けっこ」と昔風の表現をしますが、私はサッカーというのは「走りっこ」の部分が多分にあるスポーツであると理解しており、高齢者がサッカーをするための最大の要件は「走れる身体機能の保持」であると確信する次第です。瞬発力やボールコントロールの能力低下に比して,更に低下しているのが「走力」ではないかと思うのですが……・。要は自分の得意とするプレーを実現するための「自分流トレーニング」が必要であるということです。

4)その他 ― 母校への回帰

 以上に申し述べてまいりましたように、私は70歳を迎えたのを機会に、新たなトレーニング法に切り替えて実施しておりますが、これは勿論のこと、高齢でのサッカーに耐え得る身体機能を維持するためですが、このこととは別に他の理由もあって、近隣の出身小学校でのトレーニングを励行しているのです。伊藤申さんからお聞きになっているかもしれませんが、私は生粋の「浦和っ子」ではなく、東京は本郷の生まれであり、幼少の頃に当地に転居してきた経緯があります。

 私の定住の地となった旧浦和市の本太地区は、私の子供の頃には住宅地の周辺にはまだ多くの畑地が残っており、戦前戦後を通して、主として東京から移転してきた方々によって住宅地と変わっていき、昔の浦和の旧市街からは少しばかり離れた田舎?でしたが、現在では閑静な住宅地としての一定の評価を得る土地となっております。

 私はこのような場所で地元の本太小学校に入学したのですが、全国的には野球全盛の時代(特に六大学野球)に、なぜがキャッチボールさえしたことがなく、小学校入学以来サッカーに慣れ親しむ生活を送ってまいりました。それは、この小学校に在職されていた埼玉師範学校でサッカー部に所属していた先生が3人もおられたことによります。そして、小学校卒業後に進学した旧制浦和中学校もまた伝統あるサッカー部があり,私のサッカーの基礎は、これら2校で培われたと言えます。

 以来六十年有余、中高年スポーツの興隆によって、古希を迎えても尚サッカーを楽しんでいる私ですが,今や高齢のプレイアーとして過去を振り返りますと、いずれは中高年プレイアーとしての引退ということをも想起せざるを得ないわけで、長く続けてきたスポーツマンライフの幕引きは、母校への回帰こそが最も自然な形であると考えるに至ったのでした。

 早朝の校庭に漂う冷気も、青空も、隣接する氷川の杜(氷川神社)も、暗くなるまで先生とボールを追った当時と変わらず、私のサッカーの原点であるここで、再びボールを蹴ることができる幸せに浸ってもおります。言うなれば、七十歳で新たなトレーニングに励む私の行為は、今や終盤に差しかかった私のスポーツマンライフの幕引きであり,私の選手生活を支えてくれた両親兄弟姉妹への感謝のメッセージでもあるわけです。この校庭で,小学校2年の頃でしたか、恐る恐る初めてボールを蹴った感触は,消えることなく、私の脳裏に焼き付いておりますが、今しばらくは高齢者プレイアーとしてボールを蹴ることができる幸せを噛み締めておる次第です。

 今回,伝統ある東京四十雀のホームペイジに、不肖私のトレーニング法を掲載してみたいというご連絡に、東京生まれで浦和育ちの私としては、東京から中山道を通って浦和にもたらされたに違いないサッカーの流れを想い、二つの都市の縁浅からざるものを感じ、なぜか嬉しさをも感じております。

 願わくば,私のトレーニング法をご覧になった方々が、これにヒントを得て、更に密度の高いトレーニング法を工夫され,今後のスポーツマンライフに役立たせるよう祈るものです。



5月26日の朝日新聞に「土屋彪選手」が掲載されました。 

ニュースの表題は、週末はサッカー少年
以下本文です。

芝生が心地よい季節。ボールを追うのが楽しくて、フィールドを駆ける。年齢を超えてフィールドスポーツを愛する人たちに、きょうも笑顔があふれた。

 クラブチーム「四十雀(しじゅうから)クラブ東京B」の監督、世田谷区に住む土屋彪(たけき)さん(57)は高校2年でサッカーを始めて以来、約40年間プレーを続けている。普段は中央区銀座の石油製品加工会社で取締役部長を務める。毎朝、ラッシュにもまれて通勤し、夜も8時すぎまで働くことが多い。大会前日も、来月に予定されている株主総会の準備に追われて仕事は多忙だ。

 しかし、どんなに疲れていてもサッカーはやめられないと言う。

 週末はほぼ毎週試合をする。グラウンドに立つと一時、仕事も家族も忘れるほど熱中している。「サッカーの楽しさは言葉にできない。そこにグラウンドとボールがあったら、サッカーをする」と笑う。

 同じチームの最高齢、多摩市の猪鼻孝之さん(63)もサッカーに心を酔わせる一人。ポジションのFWは攻撃の要だ。毎日約40分間、布団の上でのトレーニングを欠かさない。「サッカーでは同じプレーには二度と出あえない。難しいからこその面白さがある」と語る。

 中高年といわれる年齢を迎えても、ボールを蹴ることにあこがれる多くの「サッカー少年」たちが穏やかな日差しの下Aグラウンドに立っていた。


本当はこの辺に土屋さんの勇姿が・・・。(転載技術未熟ゆえ載せられません・・・)















全日本マスターズ東京都予選・準優勝の賞状。
(抱えている人は、ミネさんです。ケガをした福井君に代わって、BKからGKへのコンバートに見事に応えて大役を果たしてくれました。


(平成15年マスターズ東京都予選準優勝の賞状・右はチーム一怖い顔をしたヤナギ君です。)



川又常夫君追悼試合
03年4月20日
・千葉兼松都賀グラウンド
去る2月24日に不慮の事故で亡くなった故・川又常夫君(享年47歳・背番号14番)の追悼試合が、川又君の母校である「北海道大学OB」、北大と定期戦等で特に親交の深かった「東北大学OB」それに「四十雀東京クラブ」の3チームで行なわれた。3チームで80人位は集まり、試合を行うとともに、川又夫人をお迎えして、追悼のセレモニーを行った。北大伝統の「別離の歌」を、中町先輩の音頭で合唱した。最後に、川又夫人から「主人はサッカーを愛していて、年をとってからも、ずっとサッカーを楽しみたい、と言っておりました。みなさまには、どうぞずっと健康でサッカーを楽しんでいただきたいと思います。本日はどうもありがとうございました。」という挨拶がありました。

<下記写真は、セレモニー&東富士(都賀の蕎麦屋)での懇親会の模様です。






<平成15年度クラブ総会議事録>

日時:平成15年4月12日(土)18:00〜20:30
場所:南国酒家・原宿本館
出席者(敬称略):三谷、竝木、山内、両角、星、針谷、長井、下田、伊藤(申)、
小林(康)、末光、山口、竹内(民)、猪鼻、野呂、桜井、松田、米澤、城、庄村、
小林(利)、奥、土屋(彪)、大脇、朝日、榊原、今村、倉本、加藤(優)、寺下、
山森、小林(秀)、外岡、三浦の計34名。   委任状:78名
会長挨拶:総会に先立ち、幹事会を数回、また3月22日に評議員会を開催し、その中
で検討された事項を、本日の議題の中で提案するのでご審議願いたい。
議題(議長:猪鼻)
1. クラブ創立50周年記念行事報告(庄村);昨年秋の10月12・13日に那須スポーツパークで記念試合と祝賀会を行った。怪童クラブ、宮城四十雀、与野シニア及び千葉四十雀を含め総勢186名参加(東京からは80名)。記念誌も500部発行し、会員及び関係者に配布・寄贈した。会計報告(土屋)とともに承認された。
2. 平成14年度活動報告・平成15年度活動計画(山森);承認された。
3. 平成14年度会計報告・平成15年度予算(土屋);承認された。
4. 新幹事の指名;植村祐幸氏と外岡 環氏が新幹事として承認された。
5. 評議員の退任と新任;本多秀治氏、鈴木義禮氏および村形繁明氏の退任、代わって、山内末雄氏および下田 亨氏の新任が承認された。
6. 新会員・準会員;井上裕貴、佐藤朝信、堤 茂実、和田四郎、脇川弘、北原有機夫、小林利彰、米田和威、永井淑雄、石川隆彦、清水捷治、辻 勝美、井村 功、三浦正英、中村直樹、米川昌伯、倉本貴行、佐藤 啓、尾藤雅彰、柄島孝彦、鵜飼 正。
7. 今後の運営;年代別の活動が活発化してきたので、年代別の幹事の責任体制を明確にした。即ち、40代は山森、植村、外岡がゲームに責任を持ち、小林(秀)がサポートする。50代は櫛田、阿久津、土屋(彪)がゲームに責任を持ち、鈴木(典)、掛谷がサポートする、60歳超は伊藤、庄村がゲームに責任を持ち、石津、猪鼻、米澤がサポートする。各年代の幹事が連絡を密にし、全体の調整は猪鼻がサポートする。
会員への試合・行事の連絡方法変更;ハガキによる連絡はできるだけ省き、ファックス、Eメールで連絡する(既に実施)。
8. クラブのホームページ開設;試合・行事の予定・結果、クラブ規約、トピックスなどをインターネットで常時見ることができるようにした。大いに活用してほしい。また、活用等に関し前向きな意見を出してほしい。
9. 年間最多出場記録者トップ6名に功労賞として賞品(スネ当てとストッキング止め)を授与した;猪鼻(42回)、桜井(36回)、土屋彪(35回)、朝日(35回)、山口(34回)、加藤優(30回)
                                     以上

トップページへ戻る